KAKEHASHI Tech Blog

カケハシのEngineer Teamによるブログです。

社会人歴15年を超えて、日報を書くことの重要性を再認識した件

こちらの記事はカケハシ Advent Calendar 2024の8日目の記事になります。

こんにちは、株式会社カケハシのデータサイエンティストの保坂です。 最近色々なことが重なって日報を書き始めたのですが、やったことがほかの人に見える様になるだけではなく自分自身の日々の活動を振り返ることにもとても有用だと実感したので、なぜそう感じたのかを紹介させていただきたいと思います。

日報を始めた動機

お恥ずかしい話ですが、私はもうここ10年近く、日記や日報など、日々の活動を記録したり共有したりすることをやっていませんでした。 社会人になってしばらくの間は、好きなエディタを使ってとりとめもなく考えたことを記録していくのが楽しくて、継続していたのですが、日々の業務に追われてやらない日が続いたりして、だんだんとやらなくなってしまいました。

社内のドキュメント管理システムにある記事を眺めると、日報を書いている方もたくさんいるのですが、最近までは自分自身もやった方が良いなとまでは感じていませんでした。ただ、最近入社された方がこぞって我先にと日報を書きはじめられているのをみて、「日報書くのは自分が感じているより良いことあるのかな?」とやや日報に対する気持ちが増してきていました。

こういったことがあったので、近い部署の人もそうでない人もふくめ、以前よりも人の日報を読んだり、どんな活動をしているんだろうかと見るようになりました。すると、当然ですが皆さんがどんな事をやっているのか、どんな苦労をしているのかが手に取るようにわかり、情報対称性が生まれるのだなと感じました(当然すぎることを書いている・・)。

それと同時に、皆さん日報を他者への報告としてだけではなく、思った以上に自分の考えたこと、気づいたことも書いていて、自分自身の振り返りのためにも使っているのだなと思いました。思い返してみると、日々の業務の中でとてもいい気づきを得ても、記録しておかなかったために忘れてしまい、時が過ぎてから思い出して後悔することもあったなと思いました。

他者からみた情報対称性も増すだろうし、自分自身の日々の活動の記録・備忘録としてもすぐに役立ちそうだと思ったので、ごく軽い気持ちで日報を始めてみることにしました。

日報を書いたら良かったこと

日報を始めてまだ1ヶ月ほどですが、思った以上に自分自身に対して良い効果があることを実感しています。 たくさん出版されている情報整理術の本などには当たり前のように書いてあることなのかもしれませんが、、どんな良いことがあったかを挙げてみたいと思います。

考えたことを忘れない、後で探せる

先のセクションにも記載しましたが、良い気付きをすぐに忘れてしまって後悔したことがありましたが、そういうことがなくなって良いなと思いました。 私は散歩をしているときに色々なこと・アイデアを考えつくことが多いのですが、早いと次の日には忘れてしまったりしていました。頭のメモリが少ないのかもしれません。 日報に書き出すようにしたら、当然ですが忘れてしまうことはなくなりました。

文字として吐き出すことで頭のワーキングメモリが広くなる

思いついたこと、考えたことを日報に書き出したら、それらを頭の中に残しておかなくて良くなるためか、新しいこと、別のことをより考えやすくなったように感じます。 頭の中のワーキングメモリにあった情報を削除できて、別のことにメモリを割けるようになったのかもしれません。

なんとなく思っていたことがしっかり言語化できる

頭の中で考える際には、言葉を通じて思考することもあると思いますが、漠然としたイメージを使っていることもあって、言葉になっていない場合もあるのではないかと思います。 このような考えを文字として記録するために、自分や他の人が見てもわかるようするにはどう表現したら良いのか、考えたことの重要なポイントは何なのか、などを一段深く思考する必要が出てきて、考えがしっかりと言語化されるようになったと感じます。 また、しっかりと言語化されると、それを土台として考えを更に発展させるのもやりやすくなったと感じました。

気軽に文章を書けるようになる

以前よりも気軽に文章を書ける様になったと感じています。 業務上作る資料や文章は客観的視点のものが多いですし、自分の意志を反映させた提案書のようなものでも事実に基づく裏付けを取ってから書く必要がありますが、 自分の考えを書くのにはそれほどしっかりとした裏付けを取る必要がないためなのだろうなと思いました。 自分の考えを書く習慣がなかった頃は、どのような文章でも客観的な視点で書こうと考えてしまい、強い主張を書くのに躊躇してしまう事がありました。 日報で自分の考えを書くようにしてから、場合によっては自分の視点から文章を書いてもいいし、その方が必要以上に細かいことを気にせず書けると気づけたので、日報以外の文章についても気軽に素早く書ける様になりました。

学びや失敗の発信がしやすくなる

考えを言語化して書き溜めておくことで、様々な発信を行うのがやりやすくなったと感じます。 すでに考えたことが言語化され、整理できているので、それを発信用に少し手直しするだけで済むためです。 ややメタ的ですが、実はこの記事も、日報に蓄えた「日報に関する気づき」を手直しして記事にしました。 業務を通じた学びや失敗を発信して共有知化することは、組織やコミュニティを強くする一助になると思いますので、より積極的に発信を行っていこうと思います。

(おまけ)自分用の日報フォーマットKKY

おまけとして、自分用につくった日報フォーマットであるKKYを紹介させていただきます。 社内の多くの方は、振り返りのフォーマットであるYWT(やったこと、わかったこと、つぎにやること)を使って日報を書かれていたのですが、構成を少しだけ変えるとより書きやすくなると感じたので、自分用の日報フォーマットを作ってKKYと言う名前をつけて活用するようにしています。 考えたこと(K)、これからやりたいこと(K)、やったこと(Y)と並ぶので、KKYと名付けています。

YWTとセクションの並び順が違うのはなぜ?

YWTは、わかったこと(W)、つぎにやること(T)がやったこと(Y)のあとに置かれており、やったこと(Y)から気づきをえて、次の計画や行動に反映しようという意図で作られたフォーマットだと思います。しかし私自身は、やったことをその日の業務時間中に消化しきって、気づきや次の計画や行動を書くのが難しいと感じました。その日の帰宅時、次の日の通勤時、散歩の時間などにぼーっと考えることで、やったことを消化して頭の中が整理できるため、次の日の朝に今後やりたいことが思い浮かぶこととが多いです。そのため、考えたことや今後やりたいことを先に持ってきて、その日の記録をあとに持ってきたほうが書きやすいと思い、このような構成にしました。

セクション名がYWTと違うのはなぜ?

セクション名を「わかったこと」から「かんがえたこと」にした理由ですが、やったことを消化して思考を整理する過程が挟まるため、「わかったこと」というよりは「かんがえたこと」のほうがしっくり来ると感じたためです。書いているときも、「かんがえたこと」がセクション名だと書きやすいなと感じます。また、「かんがえたこと、これからやりたいこと」はまとめて1つのセクションにしています。これは、私個人の感覚として、なにかを考えるだけということはなく、ほとんどの場合アクションとセットになっているため、まとめて書きたいなと思ったからです。

まとめ

この記事では、日報を書き始めたら得られた思わぬ効果と、私が普段利用している日報フォーマットを紹介させていただきました。 最後まで読んでいただきありがとうございました。